鳥かご 5











「あの……」


声をかけると、料理長の駒田は作業を止めて振り返った。
会釈を交わしたことぐらいはあったが、話しかけるのは初めてだ。



「ああ」

駒田は猫川が来るのを予見していたような態度を見せた。


まずキャットフードの礼を述べると、相手はやや不器用に笑って、気にしないでくれと言った。
黙っていると無愛想に見えるが、そうでもないのかもしれない。


「こう見えて、動物が好きなんだ」


そう言われ、なんとなく納得できた。
少し親近感を覚える。
猫川も自分の顔立ちがきつく、可愛らしい動物が不似合いに見えているだろう自覚があった。







「先生…えっと、ここの息子さんのことで話があって」

率直に切り出す。
黙って続きを待っている男に、猫川は言った。


「あの人は元気、だと思います。その、俺がいた頃はちゃんと元気にしてたし、たぶん今も大丈夫だと……」

言っていて、自分でも違うなと思った。
何かあれば、いくら疎遠になっていてもこの家に連絡が来る。
便りがないのは、彼が元気にしている証拠なのだ。
駒田が気にしているであろうことは、体の具合ではない。



「犬を飼ってて、毎日わりと忙しそうで、楽しそうにもしてて……」

犬に話しかけ、笑ったり、たまにはしゃいだりする姿が浮かんでくる。

「あと、友達っていうか、気の合う人もいるみたいで」

犬を無償で譲った、御手洗とかいう男だ。
訪ねてくることは多くはないが、電話はたまにかかってくる。


「だから、大丈夫、です」


大丈夫という単語を、あえてしっかりと口にした。

彼は大丈夫。

自分も、大丈夫。



「それは、よかった」


駒田の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
本当に心配していたようだ。



「心配いらない、と思います。確かになんつうか、天然っていうか、変わってはいるけど」

「まあ、それもあるんだけど……」


そう言って、男は少し黙った。
待っていると、逡巡する様子を見せたあと、

「あの子はずっとひとりだったから」


駒田は苦い顔をする。
猫川の頭には、犬山の母親の顔が浮かんでいた。
自分と違い、家族のもとで育った犬山が「ひとり」だったと言われるには、
彼女との間で問題があったのは間違いないだろうと思った。



「母親と、うまくいってなかった、とか?」

「うーん……」

駒田は言葉を濁しながらも言った。



「ある頃から、奥様は坊ちゃんを…遠ざけるようになって、あの子はずっと今君が住んでる屋根裏で生活していた」

「え……」

使用人である自分には十分だと思っていたが、
屋敷の隅にあり、日当たりもよくなく、
ひとり息子があてがわれるべき部屋とは到底思えない。



「……あの人は、もしかしてあの母親の子じゃ、ない?」

「いいや。間違いなく奥様の子なんだが……」

「……だが?」


言葉を止めた男は、ふうと息を吐いた。







「すまない。やはり私から言うべきことじゃあないと思う。中途半端になって申し訳ないが、続きは坊ちゃんから直接聞いて欲しい」


「……はい」


確かに、犬山のごく個人的なことだ。
彼から聞くのは猫川にとってもなんだか心苦しい気がする。



しばし重い沈黙ができた。

猫川はそれを追い払いたくて口を開いた。

「あのじゃあ、かわりにあの人の面白い話とか、聞かせてください」


そう言ってみると、駒田は和らいだ表情を浮かべて頷いた。

































広い。

どこもかしこも、やけに広く感じる。

小説やなんかで書いてあったのは本当だと、犬山は思った。
今までいた人がいなくなると、
部屋がやたらと広く感じて仕方がない。



「やっぱり家政婦の人にいてもらったほうがよかったかな……」


犬山はひとり呟いた。

猫川が出て行ってすぐ後に、実家から家政婦がやってきた。
だけど帰ってもらったのだ。
家事くらいやらなきゃと思うし、
家事を取り上げられたら、自分には犬の世話以外することがなくなる。



「はあ……」



猫川がいなくなってから、犬山の日々は色を失っていた。
もう一週間以上、経っているのに……



自分なりに努力はした。
塞いでいてはいけないと、ペットパークへ足を伸ばしてみたりした。

晴れていて、犬たちははしゃいでいた。
だけど、犬山だけはあの雨の日のことばかり思い出して、心が沈んだ。



どうすればいいかわからず、つい部屋をうろうろしたりしてしまうのだ。










「これ、持って行けばよかったのに、猫川君」

猫川の名前を口にすると切なくて、
犬山は唇を噛んだ。




つづく…