新規




風呂から上がった猫川は、すぐにペットベッドを掃除していた犬山のもとへ行った。


「ちゃんと温まりましたか?」

「うん」

「肩まで浸かりました?」

「うん」

いつのまにか犬山はすっかり保護者のようだと思った。
もしかしたら最初からだったかもしれない。
そういえば、当初はいろいろうざかった。


「いいものは見つかりましたか?」

しゃがんでペットベッドにスポンジを当てていた犬山が立ち上がり、こちらを見る。


あんまりにこにこされると言い出しにくいな……


ふいに断られたらどうしようという不安がわいて、
言おうと思っていた言葉が出てこない。


「猫川君?」

少し心配そうな顔。
黙っていてもしかたがない。
猫川は思い切って口を開く。


「ベッドを 買おうかと思って」

「え?」


目の前で、きょとんとした顔がだんだん喜びに染まっていく。





「それはもちろん、この家にということですよね?」

猫川が頷くと、嬉しそうな犬山はいつもより早口で、
もうどれにするか選んだのかだとか、どうせなら大きいのにしたほうがいいとか、
はりきりだした。


「診療室を使ってくださいね」







「机を移動させたら案外広いんですよ、あの部屋。日当たりもいいし、庭も見えるし」


不動産屋か何かのようだった。
猫川はつい笑ったが、相手は気にもせず善は急げだとかなんとか言っている。


心配なんて必要なかったな。


そう思うと、少々バカらしくもあり、胸のなかがあったかくもなる。


こういうのをたぶん、
シアワセな気持ちっていうんだろう。


もぞもぞするけど、悪くない。


猫川は自分が随分変わったなと思いながら、
はしゃぐ犬山を微笑ましい気持ちで見ていた。













それから数日が経ち、
注文していたベッドが届いた。







犬山の言った通り、
レイアウトを変えれば部屋は充分広く、
ダブルベッドを入れても窮屈さは感じない。
それはよかったのだが、
いざベッドが届くと、今さらながら本当によかったのかなと思い始める。


寝る場所を確保するということはつまり、
そこに住むという事だ。
今までも確かにここで暮らしてはいたが、
なんとなく気分というか、心構えが変わってくる。


今日からはここが
仮住まいでもなんでもない、
「家」になるのだ。


(俺なんかがここを家にしてもいいのか……?)




「よかった。ちゃんと入りましたね」




急に声が聞こえて猫川はびくりと肩を上げた。


「あ、すみません。ノックしようにもドアがなかったもので……」

犬山は申し訳なさそうに眉を寄せる。

「そのうちちゃんとドアもつけますから」


もともと診療室に使うつもりだったからドアは最初からつけなかったらしい。
犬や猫を抱いて出入りするのに邪魔だからだ。
急ごしらえだがカーテンを取り付けてもらった。
猫川としてはそれで満足だったが、犬山のほうはかなり気にしている。


「勝手口も嫌だったら壁にしちゃいますし」

部屋と廊下をしきるドアはないが、
外へ通じるドアはある。
そのことも犬山は懸念しているが、


「犬の世話すんのに便利だし、このままでいい」

「そうですか。ならいいんですけど」

渋々納得したような顔をして、犬山は部屋を見渡した。


「猫川君の部屋ですね」

弾んだ声だった。

「よかったです。君が部屋を持ってくれて」

「う、うん」

あまりに嬉しそうな顔をするので恥ずかしくなった。


「何か足りないものや欲しいものがあったら遠慮せず言って下さいね」




「うん、わかった」


猫川の返事に犬山は笑顔で頷いて、部屋を出て行く。


その背を見送りながら、
猫川は、またひとりで不安がってバカだったなと思った。







(よかった。本当に良かった)


犬山は自分でも驚くほど浮かれていた。

しばらくはこの家にいてくれる。

しかも押し付けたわけではない。
彼は自らベッドを購入してくれたのだ。


喜んだっていいはずだ。

出て行って欲しくないと願っていたのだから。


(感謝しなくては、猫川君に)


青空や降り注ぐ太陽。
木々の緑や犬の鳴き声。
何もかもが輝いて楽しげで、
犬山は自分が今とても幸せなのだと深く実感していた。



つづく…