滴々







「猫川君、なかなか帰ってこないな…」



犬山は心配な面持ちで、徐々に強くなる雨を見つめていた。
なかなか、というのは勝手な犬山の感想だった。
実際には、猫川が出かけてから気をもむほどの時間は経過していない。





窓やドア、外が見える場所を頻繁にいったりきたり。

無意味な行動。みや夫にも呆れられているかもしれない。
いや、猫がどれほど人間の心に関心があるかわからないが……
とにかく自分が平常ではないのはわかる。

はなこは落ち着かない自分をどうやら案じてくれているらしい。
それも、犬山の一方的な所感であった。


「猫川君、雨にあってなければいいけれど、そうはいかないよねー。傘もないし」

返事をしない相手に話しかけ、
犬山はひとり右往左往していた。


雨は意地悪にも強くなる一方で、
雷さえとどろき始めた。












(帰ってきたものの、どうやって言い出そう…)


一方、雨のなか帰宅した猫川もまた、どこか悶々としていた。

折角だから好きなものを買って来いと言われ、散々悩み、ようやく欲しいものを決めはした。
けれど、それを言い出すのは少し、いや、猫川の場合かなり思い切りが必要だった。
といっても、何もやたら高価なものを望んでいたりするわけではない。
ただいくらか犬山に手間をとらせることだし、その上ちょっとばかり気恥ずかしいことでもあった。


(でもまあ、欲しいものっつったらそれぐらいしか思いつかねーな)





「猫川君!」

玄関へ向かうといきなり大声が聞こえた。
ドアのなかから怒ってるような、驚いてるような、とにかく血相を変えた犬山の顔が覗いていた。




「もう、びしょ濡れじゃないですか! どうしてそんな悠長に――」

「でもずっと車だったし」

「ずぶ濡れになってるのは事実でしょう? 風邪でもひいたら……」

「別に大丈夫。それより、あのな――」

「大丈夫じゃないですよ! 早くお風呂入ってください」

「……ああ、うん」

強引に背中を押されて、猫川は風呂のある二階へ上げられた。
しかたなく、風呂場へ行くと湯はきっちりとたまっていた。





温かい湯につかると、少し笑いそうになった。


(雨ぐらいで)

濡れたといっても、たかだか服や髪が少し濡れただけだ。
犬山が騒ぎ立てるほどびしょびしょになんてなっていない。


なんと言うか……


(心配されるっていうのは、こんな気分なんだな)

悪くない。 少し雨に降られただけで大騒ぎしてくれるのは、嫌なものではない。
むしろ、嬉しいとさえ感じている。


(おかしいな)


犬山もだが、自分もおかしいと思う。
だけど、不愉快ではない。


自分のために適温になっている湯に深く身体を沈めて、
猫川は少し言いづらかったことをはっきり言う決心をつけた。




つづく…