感受
「猫川君」
「……なんだよ?」
忙しかったのか、猫川はいつも以上にぶっきらぼうに思えたが、
犬山は思い切って口を開いた。
「あの、テーブルの上のチョコレートなんですけど」
ぴくり。
猫川の肩が小さく上がった。
やはり、チョコの存在自体には気がついているようだ。
「あれ、君のですからね」
「…………」
「今日中に食べてもらわないと困るので、食べてくださいね」
「…………」
「あの、猫川君?」
猫川はむっすりと押し黙ったまま何も言わない。
「甘いもの、嫌いじゃなかった、ですよね?」
不安になってきた犬山の声は揺れた。
「……嫌いじゃないけど」
「じゃあ食べてくださいね」
照れくささはずっと最高潮だった。
ひとまず伝えるべきことは伝えたし、甘いものも嫌がられていないなら問題はない。
「えっと、じゃあ、おやすみなさい」
そそくさとその場を離れて、犬山は部屋に逃げ込んだ。
・
・
・
・
「…………」
(チョコレート…… )
(なんで俺にくれんだ? )
猫川はチョコレートを発見してから何度か新聞で日にちを確認した。
そしてその度に目に入ってきたのは
2月14日という日付だった。
誕生日プレゼントのつもりなのだろうか?
誕生日を訊かれたのはつい最近だ。
嫌だったがしかたなく2月22日だと教えてやった。
しっかり覚えているみたいだったし、
もしかしたらプレゼントを用意しやがるんじゃないかと、少し思った。
だから22日に何か貰うかもしれないとは思っていたが、
今日は14日。2月14日。
目の前には……チョコレート。
誕生日プレゼント兼――
と、いうことなのだろうか?
にしても……
(別に今日は無視していいイベントだろ、普通……)
とはいえ、今日中に食べろと言われたから食べないわけにはいかない。
猫川はしかたなくリボンを解いた。
・
・
・
・
・
次の日。
(雪がきれいだわん)
パチパチパチ。
春なんてまだ暦の上だけの話。
外は寒く、雪がちらついている。
(にしても……)
チョコは全て胃のなかに消えたが、疑問はいまだ頭のなかに留まったままだった。
ちらりとキッチンに立つ犬山の背中を盗み見て、
猫川は意を決した。
「あんたさ、ゲイなの?」
「痛っ――」
動揺したのか、犬山が小さな悲鳴をあげた。
「な、なんですか、急に」
明らかに焦った様子。
肯定しているようなものだと思った。
「………やっぱ、ゲイなのかよ?」
「そんなの知りません!」
大声を張り上げる犬山を見たのは初めてだった。
普段は落ち着き払っているから、新鮮だ。
「知らないって、自分のことだろう?」
思わず笑いが混じった。
少し意地悪な気持ちになったのが自分でもわかった。
冷静な人間の足元を揺らすのは楽しいかもしれない。
「だって、わからないですから。れ、恋愛経験自体、その、豊富じゃないですし」
「……へえ」
犬山は背中を向けたままでどんな顔をしているのかわからない。
でもこちらを向いていないのは好都合だと思った。
「チョコレート、うまかった……ありがとう」
「………はい」
パチパチという火の音。
ラジオから流れる知らない曲。
ふたりともが黙ればそれらの音だけが強調されて大きくなる。
「……俺、新聞取ってくる」
「ああ、はい」
ようやく沈黙が破られる。
以前とは違う種類のぎこちなさ。
犬山はぼんやりと、初めて猫川に出会った時のことを思い出していた。
(随分、月日が流れたんだな……)
厄介だと思っていた同居人。
息苦しくて、居心地が悪くなったと思っていたのに、
いつの間にか、その存在が気にならなくなっている。
負担になるどころか、むしろ……
(……いなく、なってほしくない。でも、きっといつか……)
猫川が時々求人誌を見ているは知っている。
他人同士。いつまでも一緒に暮らすのは不自然だ。
きっと、彼も出て行ってしまう……
「あ!」
焦げた昼食。
それは見るからに苦くて、まるで犬山の心を映しているみたいだった。
つづく…